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子供達の言葉
自分の子供が、学校に行けなくなった。
行きたくないと言い出した。

そのとき、子供たちは何を感じて、
何を考えているんだろう・・・・
親達は、迷い、悩みつつ、キーワードを探し続け
ひたすら、信じて見守るしかない。

そらも不登校を乗り越えつつあります。
不安はまだいろいろあっても、もう学校にいかないということは
もうないように思える。

この前カラオケにいった道すがら
ウォーキングしながら、いろんな話をしました。

今までなかった深い話だったように思う。
不登校になった当時の気持ち
それをのりこえられた理由
まぁひらたく言えばこんな話だった。

子供が、自分の気持ちを話してくれるというのは
とても嬉しいことだと感じる。

思春期を迎えると、大きな反抗期の波がやってきて
親は四苦八苦しながら、しみじみと
子供は、自分とは別々の個性・別々の人格であると
自覚することになる。

まだまだ言葉も持たない未熟な子供にとって、心の中の荒れ狂う不安や不満を
言葉にだして伝える事は、すごく、困難な事に思える。

私自身、思春期は苦しくて、やっかいだった。
親も手こずったし、本人が一番やりにくい年代ではないか。

そんな中、自分の心のうちを話してくれるのは
親が敵ではない証拠で、ほっとする。

でもそらは不登校当時の気持ちをこう話している。
大人はみんな私を騙そうとして学校に行かせようとした、
先生達は、わかったようなことばかり言うけれど
何もわかってくれなかった。
あいつらは、馬鹿だと思った。
ママも、何でも私の事をわかったような事をいうけれど
わかってなかった・・ということだった。

もっとそらの言葉で話したんだけど
全部を覚えてない(こらこら・・・)
ただ、涙ぐんで胸がいっぱいになりつつ話すそらの様子は
よく覚えています。

そらが語っただいたいの話はこんな。

「不登校になって学校いけなくなったら
今まで隠していた、自分の駄目なところ嫌なところ、
学校行ってた頃は、かくして上手くやって来たのに
どんどん見えて来て、みるみる墜ちていった。
落ち込んで動けなくて、自分の欠点ばかり見つめる事になった。
(たぶん鬱みたいになった時期のこと)

あのとき、いろんな音楽にであって、夢中になって
学校もいけなくて、家にいて
そしてであった音楽は、すごく深く入ってくるんだよ。
きっと何も考えず学校いってたら
どんなにいい音楽でも、「いい曲だな」ってそれだけだったと思う。
なんでもそんな感じで深くハマっていくんだよね。」
って言っていた。

それでも、今はママに何でも話せるよって。
私も、「そらが不登校してくれなかったら
そらのことは何にもわからない馬鹿母だったよ」と答えた。
ママは何にもわかっていないと言われた時は、本当に悩んだけれど・・と。

あの頃、そらは私を憎んでいるみたいだった。
自分の苦しみは全然理解してくれずに、
ひたすら学校に行けないのは何故かと問いただし
泣きながら、学校に行ってくれといい、
自分の悲しみだけを見つめて泣いてばかりいる・・・

そんな感じだったんじゃないかなぁ
思い出すと、なんか別人みたいな私がそこにいる。
でもまちがいなくあれは私。

本当に苦しかった。自分のエゴとの戦いだった。
でもそらが可哀想・・・というより
自分がかわいそう・・という 自己憐憫の涙だったんだな。

そらを理解しよう、こだわりを捨てようと決意して
実行に移せるまでも葛藤があったけれど
まぁこのブログにある様々に人とのであいによって私も
肝っ玉がすわっていった。

ただ未だに学校の先生との感覚の違い、
お互いに理解しがたいなにか・・が残っているのは確か。
とでも感謝はしているんだけど。

中学は戦場だった。
だから、そこに存在する教師が、子供をまもりきれなかった・・
あるいはそこにいる教師は時には軍曹・・・・
そんな印象が残った場所にいる先生達を
心から受け入れられないのはしかたないことじゃないか。
不登校児の親の正直な気持ちです。

1年のときの女の先生は相性が悪く、
最後までそらが頑張れば皆ととけこめる・・・というようなことを言って
そらを迷わせた。
いじめは悪化する一方なのに・・・そらは1年時は頑張って頑張って登校した。
おかげで私もそらも、女の先生がトラウマだ。

でも、そらは、中学校の2年時の担任に出会って
少し気持ちが救われたと言った。
アキラ(生意気にも担任をこう呼ぶ・・)のおかげで少し立ち直ったと。
アキラは熱い先生だった。見た目はひょろりと背が高く、
クールにみえるのだが。

未だに生徒の行動に感動して涙したり
爆発して怒って、またまた悔し泣きしたり・・と
とにかく熱い。今時なかなかいない昭和の男。

そしてタイタイ(フリースクールの先生の愛称)にであって
泉のみんなに出会って、ようやく救われたというような事をいった。

タイタイは、見た目は今時風の細身の体で
おそらく20代後半から30代であろうと思われる。
大学では心理学を専攻したらしい。
おそらく優秀な大学をでいるかも(という印象ね)
若くて、子供達に心が近い気がする。
なんにでも夢中になる性格で、学生時代はギターに夢中になった。
そんなタイタイとの出会いはそらには新しい風だったと思う。
フリースクールでの様々な子供たちへの取り組みと
心のメンテナンスには感謝している。

まぁ、私の感想としては、先生達の力もあるけれど
最終的にはやっぱり友達の存在かなぁ
タイタイは、「私たち大人のできることはわずかです。
みんな友達との関わりの中で
自分の力で成長して変わって行きます」といっていたことがあって
私も本当にそう思う。
人は人との関わりで傷ついて、結局それを癒すのは人なんだね。




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【2007/04/30 09:20】 不登校 | トラックバック(0) | コメント(4) |
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comments
--不登校初期の頃--
私も、haruさんと同じような反応だった。まだ親子の関係がそのままの状態で、何とかしようと思っていたから、泣いたり、怒ったり、イヤミいったり、脅かしたり・・・。
私も敵だった頃は、どんどん息子が見えなくなって、別人になって行くようだった。
今は、また取り戻しているような気がしますが、昔の関係じゃ全然ない。
息子が、自分で「家族」のルールのもとに戻ってきてくれたような感じ・・・です。
一個の人格として耳を傾ける事、いつも教える、教育する、しつける、じゃなくて「あなたはそうなんだね。」と認めると言う事を、しなきゃいけない段階だったんだなあと、振り返って分かりました。
haruさんもそらちゃんといい関係が築かれてるなぁ・・。
【2007/04/30 10:36】 URL | ぺいんとまま #-[ 編集] |
----
みなさん、同じような経過をちどってるんだねぇ・・・
うまくいかないこともあるけど
やっぱり、せっかく親子に生まれたのだから
理解しあう立場でいたいと思います。

相手を否定したり批判したりする方が
安易にできると思うんですよね。
親子でも、違う人間だから
認める、受け入れる。理解する・・は以外に難問なのかもしれないね。
【2007/04/30 21:38】 URL | haru #mQop/nM.[ 編集] |
----
haruさん、すごいな。
同じようなこと、思っていてもなかなか言葉にできないのに
すごくスッと入ってきました。
私もharuさんと同じ道をたどってきました。

そらちゃん、すごくいい子ですね。
私も息子に、不登校のときの気持ちとか聞いてみたいけど、
まだ準備が整ってないです。
きっと、そらちゃんが感じていたのと同じことを、息子も感じていたと思うけど。

人とのふれあいで癒されて前を向けるっていうこと、息子もちゃんとわかっているんじゃないかな、と最近思えるようになりました。
【2007/05/09 22:40】 URL | グッチ #-[ 編集] |
--グッチさんへ--
お久しぶりですーーー
グッチさん。
いやーー照れます。すごくなんてないですよ・・
うちは女の子なので、何でもぺらぺらしゃべってくれるんだと思う。
グッチさんの息子さんの自立の様子を見ていると
信じて待てる母でいるグッチさんは
尊敬もんです。
私は未だにドキドキ。
でも結局縛る訳にも行かず
徐々に離れていくんだねぇ・・

息子さんも友達に救われているんですね。
友達の力、って親の力なんておよばないほどって思う。
【2007/05/10 05:12】 URL | haru #mQop/nM.[ 編集] |
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